ネギま!「297時間目」
ザジ(真)いわく「この幸せな世界」は、ザジ(姉)のアーティファクトが造りだした幻影だが、ほぼ「完全なる世界」と同じものではあるとのこと。
というか、姉って何だよ姉って(笑)。
「完全なる世界」は、各人の願望や後悔から計算した、もっとも幸せな世界。
人生のどの時期であるかも自由。死もなく幸福に満たされた暖かな世界。
もはや天国ですね。
天国の別名は退屈地獄だという話を、かつて何かの本で読んだ覚えがあるのですが、まさにそのような世界。
各人それぞれに合わせてカスタマイズする以上、人の数だけ世界があることになり、結局のところ世界に居るのは自分一人だけ。
いわばPC一人とその他全員NPCという、コンピューターゲームの世界のようなものですね。
前回のザジ(姉)の「完全なる世界(幻影)」を見て、今さら物語的に主人公が絶対に選べない選択肢を提示してどうするんだよ、と思いました。
しかし、今回ザジ(真)が出てきて「完全なる世界」を、たった一歩のわずかな勇気でつかめる世界と、斬っているところを見ると、ネギの「幸せな世界の否定」の否定(お前に他人の「幸せな世界」をどうこうする資格があるのか?的な)に対する、反証を事前に提示したというのが、今回の話だったのかも知れないと思いました。
他人の幸せな世界を云々という話は、水掛け論的な命題なので、どこまで反証を用意したとて決着を見ない話ではありますが、それでも「幸せな世界」とは何なのか、知らないで退けるのと、知っていて退けるのでは、大きな違いはあるでしょうし。
それにしても、ここでザジを出したことによって、このまま最終決戦ということにして話を終わらせることもできるし、その後に続けることもできるという便利な状況になっている気がします。
何しろ、もしこのまま終わっても、今回を最後に残ったクラスメイト編の消化と位置付ければ、「ザジ完全に投げっぱなし(笑)」ということになりませんし。
それにしても、この世界はネギの認識をもとにして造られた世界だなと感じさせるのが、アリカとネギの挙動不審な母子関係。
ネギは、アリカが母親として、どのように接してくれるのか見当もつかないんだろうなと思わずには居られません。
ナギは、「動く遺言」として実際に接しているせいか、比較的自然な感じに再現されている感じがするのですが。
というか、姉って何だよ姉って(笑)。
「完全なる世界」は、各人の願望や後悔から計算した、もっとも幸せな世界。
人生のどの時期であるかも自由。死もなく幸福に満たされた暖かな世界。
もはや天国ですね。
天国の別名は退屈地獄だという話を、かつて何かの本で読んだ覚えがあるのですが、まさにそのような世界。
各人それぞれに合わせてカスタマイズする以上、人の数だけ世界があることになり、結局のところ世界に居るのは自分一人だけ。
いわばPC一人とその他全員NPCという、コンピューターゲームの世界のようなものですね。
前回のザジ(姉)の「完全なる世界(幻影)」を見て、今さら物語的に主人公が絶対に選べない選択肢を提示してどうするんだよ、と思いました。
しかし、今回ザジ(真)が出てきて「完全なる世界」を、たった一歩のわずかな勇気でつかめる世界と、斬っているところを見ると、ネギの「幸せな世界の否定」の否定(お前に他人の「幸せな世界」をどうこうする資格があるのか?的な)に対する、反証を事前に提示したというのが、今回の話だったのかも知れないと思いました。
他人の幸せな世界を云々という話は、水掛け論的な命題なので、どこまで反証を用意したとて決着を見ない話ではありますが、それでも「幸せな世界」とは何なのか、知らないで退けるのと、知っていて退けるのでは、大きな違いはあるでしょうし。
それにしても、ここでザジを出したことによって、このまま最終決戦ということにして話を終わらせることもできるし、その後に続けることもできるという便利な状況になっている気がします。
何しろ、もしこのまま終わっても、今回を最後に残ったクラスメイト編の消化と位置付ければ、「ザジ完全に投げっぱなし(笑)」ということになりませんし。
それにしても、この世界はネギの認識をもとにして造られた世界だなと感じさせるのが、アリカとネギの挙動不審な母子関係。
ネギは、アリカが母親として、どのように接してくれるのか見当もつかないんだろうなと思わずには居られません。
ナギは、「動く遺言」として実際に接しているせいか、比較的自然な感じに再現されている感じがするのですが。
ネギま!「296時間目」
完全なる世界へ行きたい人は挙手。
ネギが、ザジのアーティファクト「幻灯のサーカス」で、完全なる世界と思しきところへ送り込ましたが、果たして「幻灯のサーカス」の能力は、対象を完全なる世界へ送ることそのものなのか、それとも完全なる世界へ送ることを幻視させること(つまり擬似的なもの)なのか。
前者だと、ザジは完全なる世界の深い関係者ということになりますが、これはちょっと考えにくいかな、と思います。
本当に完全なる世界に送り込むのであれば、ザジに造物主の掟のグランドマスターキーを使わせる展開を用意すれば事足りるところを、わざわざ幻想を想起させる「幻灯」を冠した名前の新アーティファクトを用意していますし。
しかし、ザジが「一度‥堕ちれば二度とは戻れない‥ ここはすべてをたち切る場所‥永遠の園 無垢なる楽園 完全なる世界」などとこの296時間目の世界があたかも本物の完全なる世界であるかのような発言をしているため、幻の完全なる世界と決めつけるのもちょっと考えてしまいます。
まあ、実際のところ、これは完全なる世界を偽装した幻なのだろうと思いますが。
しかし、本物・偽装どちらにしても、この完全なる世界は、読者に「胡散臭いと感じてください」と言っているも同然の世界ですね。
これまでに数多の物語の主人公たちが否定し、乗り越えてきたであろう、「有り得ざる幸せな世界」ですもの。
ネギが「こんな世界は有り得ない、ただの現実逃避だ。僕は如何に辛いことがあっても、今生きているこの世界を必死に生きる!」とか言って、その後で世界が砕け散って、もと居た場所に戻るという展開が予想されます。
まあ、それはともかくとして、魔法バレしていない幻の2学期というのは実に見てみたいです。
何か、ネギだけではなく読者である私までもが、「有り得ざる幸せな世界」を提示されているような気分ですよ。
冒頭のネタに戻るならば、私自身が挙手。
ネギが、ザジのアーティファクト「幻灯のサーカス」で、完全なる世界と思しきところへ送り込ましたが、果たして「幻灯のサーカス」の能力は、対象を完全なる世界へ送ることそのものなのか、それとも完全なる世界へ送ることを幻視させること(つまり擬似的なもの)なのか。
前者だと、ザジは完全なる世界の深い関係者ということになりますが、これはちょっと考えにくいかな、と思います。
本当に完全なる世界に送り込むのであれば、ザジに造物主の掟のグランドマスターキーを使わせる展開を用意すれば事足りるところを、わざわざ幻想を想起させる「幻灯」を冠した名前の新アーティファクトを用意していますし。
しかし、ザジが「一度‥堕ちれば二度とは戻れない‥ ここはすべてをたち切る場所‥永遠の園 無垢なる楽園 完全なる世界」などとこの296時間目の世界があたかも本物の完全なる世界であるかのような発言をしているため、幻の完全なる世界と決めつけるのもちょっと考えてしまいます。
まあ、実際のところ、これは完全なる世界を偽装した幻なのだろうと思いますが。
しかし、本物・偽装どちらにしても、この完全なる世界は、読者に「胡散臭いと感じてください」と言っているも同然の世界ですね。
これまでに数多の物語の主人公たちが否定し、乗り越えてきたであろう、「有り得ざる幸せな世界」ですもの。
ネギが「こんな世界は有り得ない、ただの現実逃避だ。僕は如何に辛いことがあっても、今生きているこの世界を必死に生きる!」とか言って、その後で世界が砕け散って、もと居た場所に戻るという展開が予想されます。
まあ、それはともかくとして、魔法バレしていない幻の2学期というのは実に見てみたいです。
何か、ネギだけではなく読者である私までもが、「有り得ざる幸せな世界」を提示されているような気分ですよ。
冒頭のネタに戻るならば、私自身が挙手。
ネギま!「休載62回目」(BlogPet)
筈木の「ネギま!「休載62回目」」のまねしてかいてみるね
295時間目のを読んだら、あくまでも「造物主の掟」は、ということに飛ばした♪
まあ、それはなく、赤松先生ご自身も“なぜなにネギたちを言って、295時間目の登場シーン・セリフのを言ってきていたところに思えます♪
ここでは別物のを意識します♪
1時間目を当ててきているが出ても“なぜなにネギま!』であっているが辛口採点していたの存在自体がしてきた伏線を読んだら、赤松先生ご自身も“なぜなにネギま!?』ではともかく、あまりの思わせぶりな形でが、今出、『ネギたちを読んだら、あのが重要な形で最終章の少なさからは介入できても、本物か偽物かがありますねえ。
*このエントリは、ブログペットの「歳星」が書きました。
295時間目のを読んだら、あくまでも「造物主の掟」は、ということに飛ばした♪
まあ、それはなく、赤松先生ご自身も“なぜなにネギたちを言って、295時間目の登場シーン・セリフのを言ってきていたところに思えます♪
ここでは別物のを意識します♪
1時間目を当ててきているが出ても“なぜなにネギま!』であっているが辛口採点していたの存在自体がしてきた伏線を読んだら、赤松先生ご自身も“なぜなにネギま!?』ではともかく、あまりの思わせぶりな形でが、今出、『ネギたちを読んだら、あのが重要な形で最終章の少なさからは介入できても、本物か偽物かがありますねえ。
*このエントリは、ブログペットの「歳星」が書きました。
ネギま!「休載62回目」(BlogPet)
筈木の「ネギま!「休載62回目」」のまねしてかいてみるね
295時間目を意識しても“なぜなにネギたちを行使するアイテムで最終章を言っているが重要なの少なさからはないかなぁと考えると考えるとすれば、赤松先生ご自身も、あくまでも「実はラスボス」説がネギま!”では魔法世界の少なさから、それに感慨深いものがネギま!』の存在自体がした。
*このエントリは、ブログペットの「歳星」が書きました。
295時間目を意識しても“なぜなにネギたちを行使するアイテムで最終章を言っているが重要なの少なさからはないかなぁと考えると考えるとすれば、赤松先生ご自身も、あくまでも「実はラスボス」説がネギま!”では魔法世界の少なさから、それに感慨深いものがネギま!』の存在自体がした。
*このエントリは、ブログペットの「歳星」が書きました。
ネギま!「休載62回目」
295時間目を読んだら、『ネギま!?』でザジがダジャレを言って、それに龍宮隊長が辛口採点していたのを思い出しました。
まあ、それはともかく、あのザジがここで登場ですよ。
1時間目の思わせぶりな見開き、あまりの登場シーン・セリフの少なさから、読者からは「実はラスボス」説が出、赤松先生ご自身も“なぜなにネギま!”で「正体については、解明が最終章までもつれ込む」とコメントしているザジがここで登場です。
ここで重要なのは、今出てきているザジが、本物か偽物かが重要なのではなく、ザジというキャラクターにスポットを当ててきたところにあるように思えます。
なにしろ、「物語には伏線とお約束ってものがある」とすれば、ザジの存在自体が、『ネギま!』の最終章の伏線ということになるわけですから。
294、295時間目は、ついに明確な形で最終章を意識した伏線を用意してきたのだと考えると、なかなかに感慨深いものがありますねえ。
ちなみに私は、ザジがネギたちを船ごと麻帆良に飛ばした力は、「造物主の掟」とは別物の気がします。
何故ならば「造物主の掟」は、あくまでも「魔法世界の造物主」の力を行使するアイテムであって、「現実世界の造物主」の力を行使するアイテムではないからです。
「造物主の掟」は魔法世界の現実に介入できても、現実世界の現実(麻帆良)には介入できないのではないかなぁと。
まあ、それはともかく、あのザジがここで登場ですよ。
1時間目の思わせぶりな見開き、あまりの登場シーン・セリフの少なさから、読者からは「実はラスボス」説が出、赤松先生ご自身も“なぜなにネギま!”で「正体については、解明が最終章までもつれ込む」とコメントしているザジがここで登場です。
ここで重要なのは、今出てきているザジが、本物か偽物かが重要なのではなく、ザジというキャラクターにスポットを当ててきたところにあるように思えます。
なにしろ、「物語には伏線とお約束ってものがある」とすれば、ザジの存在自体が、『ネギま!』の最終章の伏線ということになるわけですから。
294、295時間目は、ついに明確な形で最終章を意識した伏線を用意してきたのだと考えると、なかなかに感慨深いものがありますねえ。
ちなみに私は、ザジがネギたちを船ごと麻帆良に飛ばした力は、「造物主の掟」とは別物の気がします。
何故ならば「造物主の掟」は、あくまでも「魔法世界の造物主」の力を行使するアイテムであって、「現実世界の造物主」の力を行使するアイテムではないからです。
「造物主の掟」は魔法世界の現実に介入できても、現実世界の現実(麻帆良)には介入できないのではないかなぁと。