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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 感想1 “単純化”

そろそろ、未鑑賞でネタバレを好まない方が、何かの間違いでこちらに来るという可能性は、ほとんどなくなる頃だと思い、本感想を書こうと思います。

ちなみに、簡易感想はこちらです。




今のところ、私は2回観に行っているのですが、まず最初に観た時に思った事は、「ああ、これは(現実の時間で)20年スケールで繰り広げられる、マルチシナリオ・マルチエンディング方式の物語なのだな」という事でした。

例えるならば、サウンドノベル・ビジュアルノベルなどと呼ばれる、ストーリーが一本道ではない、分岐型のゲーム。

◆『新世紀エヴァンゲリオン』(以下、テレビ版)第壱話「使徒、襲来」~最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」を“第1ルート”。
◆テレビ版第壱話「使徒、襲来」~第弐拾四話「最後のシ者」プラス旧劇場版第25話「Air」/第26話「まごころを、君に」を“第1ルート・別エンディング版”。
◆そして新劇場版が“第2ルート”。

これはきっと、テレビ版を観て、旧劇場版を観て、そしてこの新劇場版を観た方なら、皆さん似たような印象を持ったのではないかと思います。



ところで新劇場版ですが、当初4部作で「序・破・急・?」と発表されていたかと思いますが、今回の「破」の次回予告で、第3部は「急」ではなく「Q(Quickening)」だとミサトさんがアナウンスして、劇場内を「オイオイ(笑)」という雰囲気にしてくれました。

「序・破・Q・?」……、これではまるで村上春樹氏の小説『1Q84』のようです(笑)。

ところでマルチシナリオの話から、何故いきなり4部作の話に飛んだかと言いますと、可能性の一つとして第3部「Q」が“第2ルートエンディング”、第4部「?」が“第2ルート・別エンディング”で、テレビ版エンディングと旧劇場版エンディングとを、対応させることも有り得るのかと思ったからです。

なにしろ、4部作と銘打っておきながら、3部と4部は同時上映ですから。
3部作ではなく、あえて4部作とする理由はどこにあるのか……、興味は尽きません。
きっと片方だけだと、石を投げられそうな代物が出てくるんですよ(笑)。

「序・破・Q・?」で、とりあえず私が思いつくものを挙げるとすると、「序・破・Q・急」で、「Q」と「急」は同時上映なので、2つまとめて呼ぶ時は「急」と呼ばせるでしょうか。
こうして3本の映画のタイトルとしては、「序・破・急」として統一感を持たせる、みたいな感じで。


また「序破急」は、雅楽や能楽などで番組を3つに分ける際に使われる区分らしいのですが、これは「序・破の序・破の破・破の急・急」の5つに分けることもあるようです。

仮に、これを新劇場版4部作に当てはめるとしたら、「第1部=序・破の序」、「第2部=破の破」、「第3部=破の急」、「第4部=急」になるような気がします。
(もちろん、私の勝手な分け方にすぎませんが)


新劇場版の第1部である「序」は、再構築(リビルド)のキャッチフレーズの通り、オリジナルであるテレビ版の序盤の第壱話~第六話を、なぞっていくようにストーリーが展開されました。

しかし、ところどころに観る者に違和感を持たせるようになっていました。
海が赤かったり、最初に登場する使徒が、第3の使徒ではなく第4の使徒になっていたり……。

その極めつけは、主人公のシンジが、ヤシマ作戦の前にセントラルドグマで磔になっている巨人(リリス)と邂逅し、それが何であるのかの説明を受けるシーンでしょう。

リリスの仮面が“ゼーレの仮面”ではなく、第4の使徒っぽい顔の物にすり替わっていたり、ミサトは最初からアダムではなくリリスだと知っていたり、それどころかネルフ職員は皆セントラルドグマの奥に何がいるか知っているらしかったり。

そもそも、テレビ版のシンジがセントラルドグマのリリスと対面を果たすのは、第弐拾四話でカヲルを握りしめてしまう時が初めてであり、それ以前もそれ以後も、リリスという存在が何であるのか、知っている形跡がありません。

極端な話、テレビ版のシンジは主人公でありながら、“物語の蚊帳の外”で惑っているだけだったと言っても過言ではないと思います。

それが、新劇場版のシンジは「序」の段階で、早々とリリスという世界の秘密の一端に触れてしまい、「テレビ版の第壱話~第六話をなぞ話」から逸脱してしまっています。
「序」の段階で既に「破(やぶ)っている」と言えるのではないでしょうか。

それなので、新劇場版の第1部「序」は「序・“破”の序」。
“序”でありながら、実は“破”でもあった。

そして、それを受けた第2部「破」は「破の破」。
文字通りの“破”。

それを受けるとなれば、第3部は「破の“急”」、第4部は「急」。



下らない妄想を垂れ流している方が性に合うらしく、書き始めたら止まらなくなるので、この辺で外側の話は切り上げます。

……さて、そろそろ肝心の第2部「破」の話に入りましょうか(笑)。



とても面白かったです。

まずもって、“シンジがエヴァに乗る動機”が、共感し易く思えました。
「序」のヤシマ作戦でのシンジは、“顔も名前も知らない世界中の人を救うため”にエヴァに乗りますが、「破」の第10使徒戦でのシンジは、“顔や名前を知っているどころか、自分の事を気にかけてくれていた少女(レイ)を救うため”にエヴァに乗ります。

これは、無茶苦茶分かり易いです。
思わず「こんなに単純化しちゃっていいのかよ!?」とか、言ってしまいそうなくらい分かり易いです。

所詮、人間は地球の反対側で起こった悲劇には鈍感です。
不謹慎な話でしょうが、何百人が亡くなるような惨事が行った事もない国で起こったとして、それが痛ましい事であることを頭では分かっていても、本当の意味で悲しむことができる人そんなにはいないでしょう。もしもいたとしたら、その人はまさに聖人君子と呼ぶにふさわしいでしょう。
常人ならば、身近な誰かが一人亡くなる方が、悲しく辛いと思うでしょう。


「破」のシンジのエヴァに乗る動機は、“世界の皆のために戦う”のが仕事のはずのミサトですら、「行きなさいシンジ君、誰のためでもない、あなた自身の願いのために!」とか叫んでしまうくらい、共感してしまうものと言えるでしょう。
ぶっちゃけた話、あのシーンのミサトさんは、観客の気持の代弁者だったのでしょう。

シンジは、“たまたまエヴァに乗ることができた”普通の14歳の少年であり、その年相応に彼の認識できる“世界”自体は、とても狭いもののはずです。
いくら「世界の人々の願いを託」されても、その世界自体が捉えられないくては、腹も座らない。

「序」のヤシマ作戦で、シンジがより容易なミッションであるはずの第一射を外すのは、クライマックスへと駆けあがるための物語の要請であるのはもちろんですが、シンジの惑いの表出のためでもあったでしょう。

その後、第二射を成功させるのは、ひとえに自分の盾となって使徒の攻撃を受けているレイを救うためであり、ここでシンジの頭の中からは、“世界”がきれいサッパリと抜けているように思えます。

ヤシマ作戦前、そして第二射に入る前のシンジの心には、確かに「世界の人々(特に共にいるミサト達)のためにできるだけのことはしよう」という思いがあり、それを原動力としてエヴァに乗っているように見えますし、実際にそうなのでしょう。
だから、このタイミングでセントラルドグマのリリスを見せ、「コレに使徒が接触すると人類が滅びる、我々はそれを防ぐためにここにいる、戦っているのはエヴァになっているあなただけではない」と語りかける、「序」のミサトの選択は正しかったと思います。
むしろ、テレビ版のシンジがヤシマ作戦でエヴァに乗る理由が良く分からないくらいです。

しかし、シンジにとって決定打を放つのに必要なのは、雲をつかむような“世界”の人々のためではなく、存在を実感できる近しい誰かのためという動機だったという事だったのだと思います。

結局のところ、これこそが「自分自身の願いのために」という事なのでしょう。

「序」で既に「自分自身の願いのために」戦っていたシンジが、確信的に反復的に「自分自身の願いのために」戦うのが「破」ということでしょう。

そんなわけで、「破」のラストバトル、第10使徒との戦いでの、
ミサト「行きなさいシンジ君、誰のためでもない、自分自身の願いのために!」
シンジ「世界がどうなってもいい、僕がどうなってもいい、だけど綾波だけは返して貰う!」

というセリフは、“動機の単純化”の表出とでも捉えるべきものなのではないかと思えます。

前出の「こんなに単純化しちゃっていいのかよ!?」は、「序」で、わざわざ複雑化していた動機(世界の人々のためであったり、レイのためであったり、自分のためであったり――といったものがその局面局面によってコロコロと変わる)が、単純化(自分自身のため)してしまって「いいのかよ!?」とかかります。

凡人たる私にとっては、「破」のシンジの抱える“自分と近しい者を救うために戦う”という単純(シンプル)な動機は、実感し易い分、共感し易かったです。
見ていて気持ち良かったですし、「そうそう、こういうのが観たかったんだよ!」と思いました。
観た後も「とても面白かった、まさにエンターテインメント」と思いました。

しかし、時間をおいてから、こうも思ったのです。

確か新劇場版は、「エンターテインメントを目指す」という触れ込みだったと思ったが、果たして、ここで言うところの「エンターテインメント」とは、“単純化”の事でよかったのだろうか?

自分は、何か思い違いをしているのではないか? と。



そりゃ、十数年前にあれだけちゃぶ台をひっくり返せば、観てる方だってスレますよね。
だからこそ、3部「Q」と4部「?」は、実は両方とも完結編で、マルチエンディング抱き合わせ商法なのではないか? と穿ちたくもなるのです。



しかし、ここまで書いてきて、アスカにも新キャラのマリにも全く触れていないという事実に、我ながら呆れます。

書き始めた時は、1記事で終わりにするつもりだったのですが、どう考えても長くなり過ぎなうえ、段々書いている事がブレて来た気がするので、ここで一旦切ります。
いつになったら書き終わるのか、自分でも分からなくなってきましたし(苦笑)。



続きを書く気はありますが、いつになるかは未定ということで。

テーマ : ヱヴァンゲリヲン
ジャンル : アニメ・コミック

2009-07-20 : 徒然(アニメ・漫画2009) : コメント : 0 : トラックバック : 0
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